2026年8月27日木曜日

母のような愛で仕える|第一テサロニケ2:1-8|2026.8.28(金)

―パウロが愛した教会―


あなたがた自身が知っているように、私たちがテサロニケに行ったことは「無駄ではなかった」とパウロは語ります。  

この言葉には、深い背景があります。


🌿迫害の中で


パウロはテサロニケに来る直前、ピリピでひどい迫害を受けました。  

殴られ、投獄され、辱められたその直後に、再び福音を語るために新しい町へ向かったのです。  

普通なら心が折れてもおかしくない状況でした。


しかし、彼は言います。  

「それでも、私たちの働きは無駄ではなかった。」

なぜなら、

テサロニケの人々は福音を受け入れ、

偶像から真の神へと立ち返ったからです。  

苦しみの中でも、神の言葉は確かに実を結びました。



🌿 偽教師との区別が必要だった  


当時のギリシア世界には、巡回しながら  

- 誤った教えを広める者  

- 不純な動機で人を惑わす者  

- 金銭や名声を求める偽教師  

が数多くいました。


そのためパウロは、あえてこう語ります。

- 私たちの勧めは「誤り」ではない  

- 「不純な動機」でもない  

- 「騙しごと」でもない  

- 人を喜ばせるために語ったのではない  

- 利益を得るための口実を設けたのでもない  


これは、誤解を避けるための説明でした。  

彼らの宣教は、世にあふれる偽教師とは全く違うということを、信徒たちに安心してほしかったのです。



🌿 母親のような愛で  


そしてパウロは、宣教者としての姿勢をこう表現します。

📖7-8節

「母親が自分の子どもを優しく世話するように、私たちはあなたがたの間で優しくふるまいました。」


母親の愛は、  

- 無条件  

- 見返りを求めない  

- 弱さに寄り添う  

- 自分を犠牲にしてでも守る  

そんな愛です。


パウロは、テサロニケの信徒をそのように扱いました。  

彼らは信仰に入ったばかりで、迫害の中にあり、弱く、守られる必要がありました。


だからこそ、  

「福音だけでなく、自分のいのちさえ与えたいほど」  

彼らを愛したのです。


宣教は、ただ言葉を伝えることではありません。  

自分自身を差し出し、相手の人生に寄り添うこと。  

その姿勢こそが、母のような愛でした。



🌈 今日の祈り  

主よ、  

パウロが示したような、

純粋で、見返りを求めない愛を私にも与えてください。  

人を導くとき、教えるとき、仕えるとき、  

母のように優しく、父のように励まし、  

あなたの心をもって関わる者としてください。


私の働きが、どんな小さなものであっても、  

あなたの御手の中で「無駄ではなかった」と言えるものとなりますように。

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