―自分の信仰生活に自信が持てない人へ―
📖「平和の神ご自身が、あなたがたを完全に聖なる者としてくださいますように…
あなたがたを召された方は真実であり、必ずそのことをしてくださいます。」
(第一テサロニケ5:23–24)
🌿「完全に聖なるもの」とは?
一言でいうと
「心と生活の全ての領域が神に属している状態」
もっとわかりやすく言い換えると
「心と生活のすべてが神の前に開かれていること」です。
・神を締め出す場所がない
・神の前に隠すことがない
・神の光が心のすみずみまで届いている
・神の導きに背を向ける“閉ざされた部分”がない
ということです。
完璧に生きるという意味ではなく、
“神に対して開かれた心で生きる”
というニュアンスが近いです。
🌿「聖なるもの」として生きれない?
神を愛し、信頼しているはずなのに、
・世のものに魅かれ、時間やお金を費やしてしまう。
・怒りや苛立ちで心がいっぱいになる時がある。
・妬むことがある。
・他人を愛せない、赦せないと思うことがある。
・心のどこかで神に信頼していない部分がある。
「私は本当に神を愛しているのだろうか」
「私に信仰がある、といえるのだろうか」
「どうしてこんなに罪深いのだろう」
そんな思いが胸を締めつけることがある。
もしそんな痛みがあるとしたら、
それは、あなたが神を求めている証拠。
神を愛しているからこそ、
神を悲しませてしまう自分の弱さに心が痛むのです。
🌿パウロの祈りは 人の弱さを前提にしている
パウロは
「あなた自身が聖なる者になれますように」とは祈りません。
彼はこう祈ります。
「平和の神ご自身が、あなたを完全に聖なる者としてくださいますように」
つまり、
“聖なる者として生きる力は、あなたの中にはない。
それを行うのは神ご自身だ”
そして続けてこう宣言します。
「召された方は真実であり、必ずそのことをしてくださいます。」
あなたが弱くても、
心が揺れても、
倒れそうになっても、
神はあなたを見捨てず、※聖化の働きを続ける方です。
🌿 聖化とは“努力の積み上げ”ではなく“神の守りの積み上げ”
神は、罪人を本来の姿(神のかたち・神の似姿)に回復するために
働かれます。
この回復の働きのプロセスのことを「聖化」と呼びます。
聖化は、
あなたが自分を完璧にすることでも、完全な献身をすることでもありません。
聖化とは、
倒れそうになるあなたを、神が何度でも引き戻し、守り続けることです。
あなたが世に心を奪われそうになるたびに、
あなたの感情が揺れるたびに、
神はあなたをそっとご自身のもとへ呼び戻されます。
聖化は、その繰り返しです。
そのプロセスの中で成長してゆくのです。
🌿 弱さも神に差し出すことが、聖化の道
あなたが向き合うべきは
「できない自分を責めること」ではありません。
「自分の弱さをそのまま神に差し出すこと」です。
「主よ、私は聖なる者として生きたいと願っています。
でもできません。
だから、あなたが私を整えてください。」
この祈りこそ、第一テサロニケ5:23–24の祈りと響き合うものです。
🌈 今日の祈り
主よ、
私はあなたを愛したいと願っています。
でも、愛とは反対の方向に傾くことがある自分に悲しみを覚えます。
けれど、あなたは私を召されました。
あなたの真実によって私を守り、
聖なる者として整えてください。
どうか今日も、
私の霊・魂・体をあなたとの平和の中に置いてください。
御手に委ねます。
あなたが必ず私を完全に聖なるものに造り変え、
御業を成し遂げてくださると信じます。
0 件のコメント:
コメントを投稿